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Steven Meisel in conversation with Vince Aletti [reading / listening room]

Steven Meisel in conversation with Vince Aletti


(c)White Cube / Fiction inc. 翻訳:Y.Y



1年と少しの間、スティーヴン・マイゼルはビバリー・ヒルズにある邸宅を借り、そこで暮らしながら仕事をしてきた。NYにあるアパートとスタジオには定期的に戻ること、両海岸で過ごす時間を均等に振り分けることが理想的だと考えてはいるのだが、ロサンジェルスは彼に新鮮なインスピレーションを与えたのだ。5月も終わろうとするある日の朝早く、マイゼルは故郷から遠く離れた家で受話器を取り、LAがビバリー・ヒルズで撮影したヴェルサーチの2000年秋/冬コレクションの広告キャンペーン写真に及ぼした影響や、彼がファッション写真にずっと抱いてきたオブセッションについて話してくれた。最後には、彼はわたしがしたのと同じくらい多くの質問を、自分に向かって問いかけていた。

  V:あなたはヴォ-グ・イタリアの2000年3月号で、Hannelore(モデル)をカリフォルニアのクラシック・モダンな邸宅の夫人に仕立てた40ページにわたるLAシリーズを始めました。この企画が今回のヴェルサーチ・キャンペーンの元になっていると考えていいのでしょうか?
S:そう、あれが出発点だった。あの邸宅とモデルのHannelore、それに個人的にはNYよりもファッションセンスがあると考えているLAのたくさんのヴィンテージの古着屋でのリサーチが元になってるんだ。だから間違いなくあの企画が今回のヴェルサーチ・シリーズの最初のインスピレーションだったと言えるね。
  V:ヴェルサーチ・キャンペーンの撮影は一ケ所で行われたのですか?それとも複数の場所が使われたのでしょうか?
S:撮影では二つの邸宅を使った。どちらもビバリ-・ヒルズで、一つはTruesdaleに、もう一つは確かHancock Parkにあったと思う。
  V:セットはどういったものだったのですか?
S:あれは大変だったよ。現地に行って邸宅を借りると、そこに住む人やそのライフスタイル、それに彼らが若い頃どんなふうだったか、といったことを見ずにはいられない。人生の絶頂にある彼らの写真や彼らが射撃に出かけたときの写真なんかも目に入ってきて、そこにはまだ、彼らがそこにいたという感覚がそっくり残っているんだ。ある意味では、ぼくは彼らの若かりし頃を表現しているのかもしれない。こういった個人史のいっぱいある邸宅にいるのっておもしろいもんだよ。クロゼットをのぞいたり(やっちゃだめだとはわかってるけど、やめられないんだ)、彼らの持ち物を眺めたりね。
  V:セットのうち、元々あったとおりに撮影したものと手を加えたものとの比率はどれくらいなんですか?
S:多くのものはほとんど持ち主が使っていたままになっている。ぼくたちはディテイルを付け加えた。いつもぼくが変えたいと思うのは小さなことなんだ。ピンクのゼリービーンズがそこにあるのはだめ、黄色じゃなきゃだめ、とかね。いくつかの家具は動かしてるよ。ぼくたちは家具だとかをいろいろと持ち込んだんだけど使わなかった。結局、持ち込んだものよりも元からそこにあったものの方を気に入ったってことだね。
  V:これらの写真の背景にあるライフスタイルをどう表現しますか?
S:旧世界の社会、かな? なんと呼んでいいか、いまいちわからないけど。でも、ぼくがああいった場所に入って驚いたのはそういったことなんだよ。テイストがあるっていうか。みんなが思っているようなカリフォルニア・テイストというのは間違ってるね。あそここそがとてもカリフォルニア的なんだよ。最初にいま言ったようなことを発見したとき思ったね。わお、ここがそうだったんだ、って。
  V:どういった女性があのような邸宅に住んでいるのでしょうか?
S:ええと、とりあえず金持ちだね。ああいった服を買って着れる人。実際には、たぶんもうちょっと年が上なんだろうけど、そのままに撮影することは許してもらえなかったんだ。広告には年齢に対する偏見ってあるのかな? 絶対そうだよね。でもじゃあ、ぼくはもう少し年上の人を使って撮影したかったのだろうか? もちろんそう。30過ぎたら死ぬわけじゃないし、30過ぎの人がみんな16歳みたいに見えなきゃだめってことはないんだから。実際、あの女性のこと気に入ったしね。からかったりバカにしたりしてるわけじゃない。彼女には共感してる。ちょっとした皮肉と愛を込めてやったんだ。こうした経験をしてる人の振る舞いに対して無礼になるようなことはしないよ。
  V:ヴェルサーチの広告に出ていた女性はどういった生活をしているんですか?
S:そのことはあまり話したくないんだ。なんか彼女をひやかしてるみたいだし、そんなつもりは全くなかったから。でも、彼女の抱える問題について何も考えなかったと言うつもりはない。この写真の中の彼女は何か薬物をやっているのだろうか? 娘と大げんかをして悲惨な別れ方をしたのか? それで、そのショックから立ち直ろうと薬を飲んでいるのか? っていうふうに、その人の内面的な生活について思いをめぐらせて、それを写真へと引き出そうとしているんだ。
  V:キャンペーンのメンズの部分に出てる男性は誰なのでしょう?
S:オリジナルのはもう見れないよ。あの女性の相手役を撮ったんだけど全部ボツにしたから。ヴェルサーチ側に強すぎてイメージに合わないって言われた。ぼくは、ヴェルサーチ側は彼だと女々しすぎると思ったんじゃないかなと思ってるけど。
  V:最終的に使ったモデルよりも女性的なのですか?
S:写真は同じシチュエーションで撮ったんだけど、全然違うスタイリングでやったしモデルも全く違ってた。年のいってる人じゃなかった。そうするのは許されなかったんだ。やりたかったんだけどね。彼はもうちょっとHelmut BegerとかDorian Grayみたいな感じで、もっと極端なスタイリングにしてた。ぼくたちはLucas Babinを使って全部やり直すはめになったんだよ。
  V:撮影においてモデルはどの程度、重要なのでしょう? あなたが選ぶのですか? それともクライアントと一緒に選ぶのですか?
S:モデルはすごく重要だね。もう、ぼくにとって、ほんとにほんとに重要。必ずしも常に望みどおりいくわけじゃないんだけどね。広告キャンペーンとか雑誌とか、イタリア・ヴォ-グでさえそうなんだけど、そういうとこの場合はどれも全部。こういった方向では撮らないで欲しいとかこういったモデルは使わないで欲しいとか頼まれたりする。ほとんどの場合、ぼくは新しいモデルとかあんまりいないタイプのモデルを使いたいんだけど、そうはいかないときもあるよ。
  V:ヴェルサーチ・キャンペーンの女性モデルは誰なのでしょうか? なぜ彼女たちを選んだのですか?
S:Amber Valetta とGeorgina Grenville。ぼくのアイデアにぴったりフィットしたから。できることなら年上の人を使って撮影したいと思っていたし、彼女たちならそうした要素をぼくに与えてくれると思った。ぼくたちは彼女たちが演じる女性がどういった人物なのかということを話し合った。二人は素晴らしい女優だよ。うまく演じてくれた。ぼくが、遠くを見るような目でとか、ぼーっとした感じでとか言うと、彼女たちはそれをやってみせる。本当に役を演じているんだ。ぼくにとってモデルで本当に重要なのはそういうことなんだ。モデルのみんながみんな、クリエイティヴなプロセスに関わろうとするわけじゃない。ほとんどの子はただ坐って見てるだけだよ。
  V:モデルが撮影の本質を変えることもありますか? それとも彼女はただあなたのディレクションどおりに動く女優にすぎませんか?
S:撮影はぼくのアイデア、ぼくのディレクションで行われるんだけど、モデルの子はぼくの言うことを理解できるほどには知的でないと困る。最初から誰を演じているのかわかっててもらわないとだめだ。役に関して彼女のアイデアも聞くけど、その役はぼくが思い描いて、彼女に演じてもらいたいと思ってる特定の人物とかキャラクターだからね。
  V:キャスティングと演技が重要なんですね。
S:まさにそう。どの仕事でもってわけじゃないけど、ほとんどの場合そうだね。
  V:撮影に対するあなたのヴィジョンを実現する上でモデルはどのくらい重要なのでしょう? モデルのユニークなルックスが撮影の方向を決定することもありますか? それともモデルは他の多くの中の一つの要素にすぎないのでしょうか?
S:ぼくは初めから何をやりたいのか正確にわかっている。あるキャラクターの範囲でモデルが何かを変えたりということはありえるけど、それでも彼女はまだそのキャラクターであることにかわりない。Amberはそうしたことを感じてくれるし、自分が演じている女性が誰なのかもわかっている。そして、彼女はそこに何かを加えることができるんだ。だからぼくはキャスティングが決定的に重要だと考える。楽しんで仕事ができて、なおかつ撮影に貢献してくれるようなクリエイティヴなモデルもたくさんいる。すべてはパーソナリティなんだよ。
  V:雑誌での撮影やキャンペーンでの最も重要な要素を一つあげるなら何になりますか?
S:すべてだと思うよ。最も重要なことは、ぼくがどんな人物をポートレイトしようとしてるのかというアイデア、つまりコンセプトだけど。服の方が女の子より重要とかってことは言えないよ。すべてが一体となってのことだから。どの要素も他のものより重要ということはない。でも最も重要なのは最初にあるぼくのアイデアだね。
  V:服はどの程度、関係してくるのですか? 服によってどう撮影するかが決まってくるのでしょうか? それともあなたのヴィジョン下にある存在にすぎませんか?
S:服もとても重要だと思っている。だから今回のキャンペーンはこんなに上手くいったんだよ。すべてが一体となって機能したからね。ときには、あるアイデアを持っているのにそれが服と合わないから考え直す、というようなこともある。撮影によっては服が全体を決めることもあるよ。どうするべきか教えてくれるんだ。服にインスパイアされることもあればその逆のこともあるし、別のアイデアが浮かんできたりもするんだ。
  V:通常、今回のような広告キャンペーンの撮影にクライアントは同席するのですか? ドナテラ・ヴェルサーチは今回の写真の撮影現場にはいたのでしょうか? 彼女が撮影の方向性を何かしら変えるといったことはありましたか?
S:そうでもないよ。いるときもあるけどね。ちょっとだけ立ち寄ったりとか。結局、広告に出るのは彼らの名前だからね。彼らは、撮影にやってきて「方向性が違う」とか言って、すべてを台無しにすることができる? イエス。彼らは「トゥ-マッチだ、やめろ」って言えるんだよ。今までそうやって潰されたキャンペーンは数多くあったかって? 数多くというわけじゃない。けど、あるにはあった。ファッション雑誌ではよくあることだよ。けど広告の場合はそうでもない。大金を注ぎ込んでるからね。広告主が撮影全部を拒絶するってことはもうないよ。リスぺクトしてくれるってことなんじゃないかな。そう思いたいね。でも今回の場合は、ドナテラは現場にいて撮影を気にいってくれた。楽しんでくれてたし。彼女もぼくと同じようにビョ-キなんだよ。「もっとダイヤモンドを!」とかね。
  V:あなたは元々はイラストレーターでしたね。そのときの経験はあなたの写真の撮り方に影響を及ぼしていますか?
S:うん。絶対だね。ぼくは自分の優れたグラフィック・センス以外あまり自信がない。それはドローイングから来てるんだと思うよ。
  V:Michael Grossは「もしアヴェドンとアンディ・ウォーホルの間に子供が生まれるなら、それはスティーヴン・マイゼルだろう」と書いています。これはあなたが受けて来た影響を的確に表現していると思いますか?
S:アヴェドンとウォーホルには完全に影響を受けたよ。彼らは二人とも、60年代を過ごすぼくにとってのインスピレーションの源だったんだ。こうした影響を受けてぼくが何かを描くとき、ぼくは何をやっているかわかっているだろうか? もちろん。そのつど心とは裏腹に様々な理由でそれをやっているのだろうか? もちろん。そしてぼくはある特定の時期に言及しているのだろうか? イエス。
  V:あなたはフォト・ストーリーをクリエイトするとき、外国映画やアヴァン・ギャルド・アート、フォトジャーナリズムなど、幅広く様々な素材を使って描いてきました。アートの中で、一貫してインスピレーションを受け続けている分野というのはあるのですか?
S:インスピレーションはそこら中から感じている。新しい情報をどんどん吸収したいんだ。ぼくにとって新しければ、19世紀からだってインスピレーションを受ける。食料品店に行くことや、100万年前のアーティストを見ることからインスピレーションを受けることだってあり得るんだよ。
  V:視覚的なインスピレーションは、どういったところにもっともよく求めますか?
S:ほんと無差別に。すべてになんだ。きみや他のみんなと同じだよ。何か新しいことを探しにビデオ屋に行ったらパッケージにある写真に惹かれた、とかさ。人生はまだ驚きに満ちているし、どこにでもインスピレーションを見つけられるんだよ。ぼくは仕事のためだけにそういったことをしているわけじゃない。ずっとそんなだったんだ。子供のときでさえね。狂ってたよ。
  V:覚えているなかで、最初に衝撃を受けたファッション写真、アート作品はどういったものですか?
S:写真というよりは雑誌に興味を持っていたように思う。だから子供のときは雑誌と、たぶんモデルたちにインスピレーションを受けてた。彼女たちに会おうとしてバカなことをしたりしてたよ。覚えてるのはねえ、小学生の5年の子供のくせに、Twiggyに会いたくて100万回も電話してやっと居場所をつきとめて、それで、Melvin Sokolskyスタジオまで行って、彼女に会わせろって頼んだりとか。そんなことをやってたな。フォード(モデル・エージェンシー)に入って行くメッセンジャーを買収してモデルのポートフォリオ取って来てもらったりとか。6年生のころは、モデルの子が通りを歩いてるとこを写真に撮って全員のを集めたりしたし。パパラッチみたいにモデル・エージェンシーの前で待ってて、知ってる人を見つけては写真を撮ってた。こういうのを一緒にやるようなクレージィな友達もいたしね。57丁目にあるアートとデザインの高校に通ってたとき、FalaiseのLoulouとMarisa Berensonがちょうど通りの向い側に住んでて、よく彼女たちが出てくるのを待ち伏せして写真を撮ってたよ。
  V:もしあなたのキャリアを総括するような本を作ることになったら、表紙はどういったものにしますか?
S:たぶん、通りで撮ったモデルの写真のどれかかな。あのころ楽しんでやってたものだし、あれは将来に起きることの夢みたいなものだったんじゃないかなって思うから。

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