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STAFF RANDOM NOTES '02.2.1 - '03.12.29 (JAPANESE) [staff random notes]

フィクション・インクで働くのはこんな感じといったこと、映画や音楽やアートについて思うこと、などなど。
Yukihiro Yoshida

2002年2月1日(金)
このページを訪れてくださった方の中に、フィクション・インクで働いてみたい、と思われる奇特な方がおられるかどうかはわかりませんが、ここでは、フィクション・インクで働くとはこういうことだ、といった業務日誌的なものや、今はこんなことをやっています、といった”what’s new”的な情報を紹介していこうと思います。とはいえ、すぐにネタ切れになる可能性が大いにあるので、映画や音楽、アート等について僕が感じたこと、思ったことなんかについても書いていきたいと思っています。というわけで、関係者の方々、サンプルや試写状等を送っていただけると幸いであります。
さて、フィクション・インクとは何ぞや?ということについては、"about fiction inc.”を参照してもらえたらと思うのですが、かいつまんで言えば、現在行っていることは、海外のアートやファッションを扱うインディペンデント系雑誌のディストリビューション、アート・マガジン”THE international”や写真集などの発行、パリにあるディープ・ギャラリーの運営などです。僕はここで、社長直属の部下として、国際部、広報部、経理部、商品管理部、さらにはIT事業促進部までを、週2日・午後出勤という非常に限られた時間でこなしています。このようなハード・ワークに耐えながら、パリにあるディープ・ギャラリーへの異動を夢見る今日この頃が毎日の僕なのです。ちなみに、僕がここで働き始めたきっかけは、ボスである大類信がアート・ディレクターをつとめるロッキング・オン誌に出た求人広告に応募したからなのですが、そのときの応募条件は、英語・フランス語に堪能で出版・美術に興味のある暇な人、というものでした。いずれ僕の後任となる人には、さらにMacを使いこなせてHP作成もできる人、という条件が加わることになるでしょう。
こうして、僕がここで働き始めてかれこれ2年になろうとしています。昨年移転してきた田園調布のオフィスは、心地よい陽だまりのできるゆったりとした空間で、窓からは大きな庭が見え、壁にはPurple誌の大きなポスターや、キュートなベティ・ペイジ、息を飲むほどに美しいヘルムート・ニュートンの写真などが飾られていて、とても素敵です。だんだんと仕事にも慣れてきましたし、今までまるで知ることのなかったアーティストや雑誌などに出会うことができ、それらは確実に僕に新たな視線/感覚をもたらしてくれていて、つくづく豊かな経験をしていると思います。フィクション・インクが行っていることを通して、そうしたことを感じてもらえるとうれしく思います。

2002年2月5日(火)
ホラー映画が怖くて観れないがためにシネフィルになることを諦めてしまった僕なのですが、<似非>=シネフィルとして日々、国籍もジャンルも年代も問わず、スクリーンに投射される無数のフィルムの明滅にこの視覚と聴覚を感応=官能させていたいと切に思っています。ところが、最近はどうにも心を亡くしていて、さらに、仮に今犯罪を犯してしまったなら、横浜市在住の無職の男、などと称されてしまう身分ゆえの財政的事情もあって、思うように映画を観れないでいるのです。最後に観た新作映画が昨年観たウディ・アレンの『おいしい生活』という惨憺たる状況にあって、今こそ実感として思うのは、C.ブコウスキーに倣って言うならば、「映画のない人生は世界中の枯れたクリスマス・ツリーより哀しい」。
このような状況を打開する最初の映画として、僕が今楽しみにしているのは、前作『ストレイト・ストーリー』の反動で物凄いものを作っているに違いないデヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライヴ』です。一足先にパリで観た大類によれば、ちゃんとあのリンチ色が戻った作品に仕上がっているらしいので、期待していいでしょう。そしてもうひとつ、僕と大類との間で、これは観なくては、ということになっているのが、メキシコ映画の『アモーレス・ペロス』。以前ちらっと観た予告編の印象でいえば、若さゆえの過剰が愛と暴力として疾走する痛みをフィルムに焼き付けた作品といった感じでしたが、どうなのでしょうか。少なくとも、原題をそのまま日本語に置き換えた「愛犬」というイメージを持つことは間違っているはずです。聞くところによると、音楽もとってもかっこいいらしく、サントラ共々要チェックといったところでしょう。ちなみに、公開は渋谷シネセゾンなので、水曜日は1000円(このサービスまだやってるのかな?)。やはり映画はこれくらいの値段にしてもらいたいものです。
ところで、ウディ・アレンは僕の大好きな監督で、年老いてなお毎年のように映画を撮り続けている彼をとてもうれしく思うのですが、パリと東京を行き来する大類によれば、パリではもうすでに次の作品が公開されているとのことです。日本ではいつになるのだろう。『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』のようなバカに振れたものも、『セプテンバー』のような人間の心の揺らぎを繊細に描き出す上質な室内劇も、『マンハッタン』のような知的でウィットに溢れた群像劇も大好きな僕としては、とにかく楽しみでしょうがないのです。『おいしい生活』についていえば、はっきりいって彼のフィルモグラフィに「傑作」として加わることのない作品ではありましたが、そう言いつつもあのいつもおどおどしているウディの姿がスクリーンに映し出されるだけで嬉しくなってしまうのは、きっと僕だけではないでしょう。次作もウディ本人が出演(弁護士役!)しているとのことなので、少なくとも『インテリア』のような暗い作品ではないことは確かです。どんな作品になっているのか、待ち遠しくてしかたありません。願わくはダイアン・キートンが出ていることを!

2002年2月12日(火)
ひとの少ない映画館が好きだ、このような思いを持っているのは僕だけでしょうか。これが演劇やライヴなら、これとは全く逆にがら空きの会場は何か寂しいだけで、すかすかの空間を緩みきった空気が流れてしまいライヴゆえの熱気や緊張感に欠けてしまうだけでしょう。ですが、こと映画館に関しては、立ち見が出るほどの盛況なそれではなく、やはりひとの少ない映画館がいいと思うのです。これは実感として思うだけで、立ち見が嫌なのは当然としても、たとえばトイレに立つのに煩わしい思いをしなくてすむといった瑣末なことを超えてなぜ自分がこのように感じるのか、それをうまく言葉で表すことはできません。しかし、たとえばゴダールの『女と男のいる舗道』での、アンナ・カリーナ演じるナナがドライヤーの『裁かるるジャンヌ』を観て涙を流すあの美しいシーンが、あのようなひとの少ない映画館でなければならず、『A.I.』公開時の東急文化会館のような映画館であってはならなかったということは、何かを表しているように思えてならないのです。
今回は、映画館側としてはちっとも嬉しくないのかもしれませんが、こうした「ひとの少ない映画館」として僕が気に入っている映画館をいくつかご紹介したいと思います。
1.三軒茶屋シネマ/三軒茶屋中央劇場
駅を出て世田谷通りを少し歩いた先を折れた路地にあるこの双子の映画館は共にいわゆる二番館というやつで、少し前に公開された映画を二本立て・1300円(各種割引あり)で観ることができます。レトロな雰囲気でとても気に入っているのですが、ひとつだけ苦言を呈するなら、椅子が硬い。二本立てで観るには少し疲れます。クッション貸し出しのサービスが欲しいところ。ラインナップはハリウッド的大作だけでなく、単館系の作品も日本映画もアジア映画もヨーロッパ映画も上映されるのがうれしい。たまにカサヴェテス二本立てといった粋な計らいもあるので、こうした互いに関連性のある二本立てをこれからも企画してもらえたらと思います。まあ、ランダムな組み合わせが魅力でもあるのですが。
2.渋谷シネマ・ソサエティー
マーク・シティの道玄坂側出口を出て少し行ったところにある比較的新しい映画館。ここの目玉は何と言ってもモーニング・ショー(最近はレイト・ショーも)での日本映画名作大全でしょう。溝口、小津、成瀬など監督別に特集したり、松本清張原作ものの特集をしたりと様々なテーマで日本映画の名作を観ることができます。しかも朝なら900円(チラシについた割引利用で800円!)。椅子もゆったりしていてとても快適です。年末に観た山中貞雄の『人情紙風船』は本当に美しい映画でした。こういう映画を観られる映画館は貴重だと思います。
3.シネマ下北沢
ディスク・ユニオンの先、すずなりの隣にある小さな映画館で、ここでも日本映画(比較的最近のもの)を観ることができます。昨年の山本政志監修の「ディープ・インパクト」に続き、今年も現在「シネマ・インパクト」と題して園子温、橋口亮輔、林海象、塚本晋也などなどの作品を上映中。一回1200円ですが、回数券を利用すれば一回あたり1000円を切る安さ!利用しない手はありません。次回は先日ここで観た園子温の映画について少し感想を書いてみたいと思います。

2002年2月19日(火)
前回、次は園子温の映画についての感想を書きたいと書いたのですが、特に困る方もおられないと思うので、これはさらに次回に回すことにさせていただきます。というわけで、今回は、おととい新宿リキッド・ルームで行われたライヴ・イヴェント、“モンスター” の感想を。
出演は、まず前座でアンダー・ステイトメントというバンド、そしてメインでワードというバンドとナンバー・ガールとミラクル・ヤングだったのですが、僕の目当てはナンバー・ガールとミラクル・ヤング。アンダー・ステイトメントとワードは特に魅力を感じることもないまま無事終了し、ナンバー・ガールの登場、僕はずっと最前列にいたのですが、それまでゆったりとしていた空間が急に後ろから押されてぎゅうぎゅうに。やはりみなさんナンバー・ガールが目当てだったようです。最初の一音を鳴らした瞬間からみんな飛び跳ねまくり。ドラムとベースが生み出すグルーヴの上にギターの轟音が塗り重ねられ、そこにチャコちゃんの鋭角的なギターが刻み込まれていく。あぁ、やっぱかっこいいなぁ、と思いながら僕の視線の先はチャコちゃんに。うっすらと茶色く染まったおかっぱを揺らしながらギターを弾く姿がかわいい。ちょっとかつての倍賞千恵子に感じが似ているね。などと思っているうちに、早くもラスト曲“abstract truth”、「先生、貴様は誰なんだー」とみんなで叫び、終了。時間が短いのが残念でしたが、新曲“NUM AMI DA BUTZ”も披露、ポエトリー・リーディングっぽい曲なので、全然聞き取れなかったのですが詞が気になるところです。4月にはアルバムも出るようなので楽しみ。
そして、その日の最後を飾ったのがミラクル・ヤング。ひょっとしてご存知ない方がおられるといけないので少しくご説明申し上げると、ミラクル・ヤングとはあの町田康のバンドなのです。僕が町田康を知ったのは小説から、つまり作家としての彼を最初に知ったのですが、言うまでもなく元々はパンク歌手、「売れないパンク歌手に成り下がった」などといった記述がエッセイでもよく出てきますが、ずっと歌は聴いたことがありませんでした。ところがある日、大類と一昔前の日本のロックについて話していたところ、町田町蔵はすごくかっこよかった、と言われ、これは聴かねばと、僕も聴いてみることにしたのです。したら。かっこよかった。とってもかっこよかった。言葉がリズムを刻み、グルーヴを生み出しながらがんがんに脳髄に撃ち込まれていく。小説の場合だと、読みながらそのリズム、グルーヴに同調し、歪なイメージに巻き込まれていくといった感じがしますが、音楽の場合はそうではなく、より直接的、あるいは暴力的と言ってもいいほどに言葉に「撃たれる」感じなのです。残念ながら今回のライヴでは、最前列にいたからなのか、ギターとベースの音に隠れてしまい、言葉がリズムを刻みグルーヴを生み出す様を体感することはできませんでした。それだけが心残りではありますが、それにしても町田康はかっこよかった。眼光がとても鋭く、そして美しい。4月にも下北でライヴをするようなので、興味ある方は是非。その前にCDを聴いてみたいという方は、INUの『メシ喰うな』ももちろんいいのですが、町田町蔵+北澤組の『腹ふり』を聴いてみてください。一曲目“イスラエル”のイントロでの叫び、あんなにかっこいい叫びはそうあるものではありません。小説しか知らない方は是非。

2002年2月26日(火)
映画において人が走る理由は様々です。それはたとえばオリンピックなどの競技のためであったり、何かから逃げ、または誰かを追いかけるためであったり、あるいは単に急いでいるだけであったり。あるいはそれはひょっとするとルーヴル美術館の最短鑑賞記録を塗り替えるためであったりするかもしれません。ですが、ときにはそうした説明のつく理由などないままに、何か言いようのない感情の表出として俳優たちは走り出すことがあります。たとえば『大人は判ってくれない』のラスト・シーンにおけるジャン・ピエール・レオ、あるいは『汚れた血』のラスト・シーンにおけるジュリエット・ビノシュのように。そのとき「走る」という行為は不意に抽象度を高め、しかし同時にその生々しい身体性を放ちながら、物語から浮遊した純然たる映画的躍動として僕たちの視覚を撃つことになります。『汚れた血』でのもうひとつの印象的な「走るシーン」、ドニ・ラヴァンがデヴィッド・ボウイの“モダン・ラヴ”をバックに身悶えるようにして疾走する姿を併走するように捉えたあの有名なシーンもやはりそうしたシーンの一つであり、その数年後に撮られることになる園子温の『自転車吐息』のあるシーンもまたカラックスのこのシーンと共鳴しながらこうした「走るシーン」の系譜に連なっているのだといっていいでしょう。園子温本人が演じる主人公が大きく「俺」と書かれた旗を手に夜の街を疾走する姿をやはり併走するように捉えたそのシーンは、メルヘンと残酷さの混ざり合った一編の詩のようなこの映画が一つの極点に達する瞬間であり、詩的身体と映画的身体の交錯した最も美しいシーンの一つだと思います。世界でもっともミニマルなヴィジュアル・ポエトリーとして墨で殴り書きされた「俺」。それを掲げて疾走するその姿には、焦燥感を振り払い、何にも囚われない速度=強度で世界を切り拓いていこうとする意志が漲っているような気がしてとても好きなシーンでした。
『自転車吐息』でのそうした「俺」という身体は、一昨年公開された『うつしみ』へと繋がっていくことになります。荒木経惟、麿赤児、荒川眞一郎のそれぞれのクリエーションの現場のドキュメンタリーに、疾走する女子高生とそれを追いかける男を主人公としたオリジナル・ストーリー、さらにその映画自身の企画風景を織り合わせていくこの映画は、映画それ自体が現と虚の間を揺らぎながら、アナーキーでエモーショナルで滑稽で希望に溢れた映像詩を紡いでいきます。写真=虚身、舞踏=虚身、衣服=虚身と次々と変奏されていく虚身、その間を縫うように絡み合うように駆け抜けていく主人公たちの身体=うつしみ。彼女たちの身体=うつしみはいくつもの虚身を駆け抜けながら現身へと、無数の虚身に憑依してなお揺らぐことのない強度をもった現身としての「俺」へと向かうことになるでしょう。こうして『自転車吐息』における「俺」という詩的身体は『うつしみ』における「うつしみ=虚身=現身」という詩的身体へと到達することになります。詩人=映画監督という身体を持つ園子温のアートが美しい軌跡を結ぶのがこの2作品なのだと言えるのではないでしょうか。そしておそらくは、こうした虚身=現身を極限まで加速させて到達するのは「ゴダールはゴダールである」、あるいは「職業は寺山修司です」というような、無限の振れ幅を内包する同語反復なのではないかと思うのです。そう考えると、今後、園子温という現身がどのような虚身を演じていき、どのような同語反復へと到達するのか観続ける価値はあるのではないか、などと偉そうなことを言いつつも、まだ『部屋』、『桂子ですけど』を観たことのない僕でありまして、シネマ下北沢さま、是非二本立てで上映していただけるようよろしくお願いいたします。日々うだつを下げてはダウンワード・スパイラルを堕ちている僕ですが、ゴダール的同語反復に到達したいなどという身の程知らずな妄想は抱かないまでも、せめて園子温的「俺」として走り出したいなどと思いつつ、実のところはSPA!的な「ボクら」、あのカタカナの「ボクら」にだけは回収されずに生きようと思うだけで精一杯といった感じで、なんとも情けない。
さて、業務日誌的なことも少し。パープルの最新号、#11が届きました。近日中に書店に並ぶことになると思います。今回の表紙は新鋭フォトグラファー、Alex Antich。暗赤色に照らされたとてもクールで雰囲気のある写真です。まるで映画のスチール写真のようなかっこよさ。他にもいつもどおり錚々たる写真家たちの作品が収められていますので是非。また、パープルはファッションを中心とした雑誌ではありますが、毎号ある意味流行とは関係のないクオリティで作られていますのでバックナンバーのほうもお持ちでない方は是非チェックしてみてください。通信販売も行っておりますので、注文方法はorderのページをご覧ください。よろしくお願いします。

2002年3月8日(金)
今月号のロッキング・オンを見ていて思い出したのですが、僕もあのNFLのハーフ・タイムでのU2のショーを観ていました。ソルトレーク同様、アメリカの国威発揚ショーだったあの場で、彼らが歌っていたのは”where the streets have no name”。それも「アメリカ!アメリカ!」と叫びながら。歌いながらボノは胸の前に手でハート型を作り、最後にはジャケットの裏側の星条旗を誇らしげに見せていました。アメリカ人、大喜び。これを偽善と呼ぶのはおそらく間違いなのでしょう。「媚びている」といったものでもないはずです。あれだけのメガ・セールス・バンドなんですから。おそらくはボノたちは全くの善意で、あるいはひょっとすると「正義感」から、あのような行動をとったのでしょう。しかし、そうした無邪気な「正義」を世界中で振りかざし、もはや犠牲者の想いを越えた国家政策として「テロ撲滅」の名のもとに爆撃を続けている(作戦名つけたりして、まるで戦争ごっこを楽しんでるみたい)のが他ならぬアメリカ帝国主義であるということから目を逸らして、それはちょっと一方的過ぎないか?と思うのです。かつて”suday bloody sunday”を歌った彼らは、報復が何の解決にもならない、ただただ意味のない犠牲者を増やすだけの憎悪の連鎖に繋がることを知っているはずなのですが。いったい、アフガニスタンでコンサートをするときはどのようなパフォーマンスをするつもりなのでしょうか。
はじめからテロ後のミュージシャンたちのチャリティのあり方には疑問を感じていました。もちろん、テロの犠牲者への支援がさまざまな形で行われることに反対するわけではありません。しかし、その後のアメリカによる爆撃もやはり、テロリストではないアフガンの市民たちにとってはテロそのものであり、何ら罪のない人々が「誤爆」で殺されていることも事実です。ところが、テロ後のチャリティのあり方を見ていると、そのほとんどがNY向けであって、そもそも世界の非対称性の歪みの爆発としてのテロであったのに、ミュージシャンたちの視線はその非対称の構図をそっくり受け継いだだけのものとなってしまっているのです。NYでテロを目の当たりにした坂本龍一が、目の当たりにしたからこそのまっとうな感覚で「非戦」を呼びかけているように、そういった動きが世界レベルで行われてもよさそうなものなのに。にもかかわらずU2は”where the streets have no name”と歌いながら「アメリカ!アメリカ!」と叫んでしまう矛盾にも気づかずに、いまや言論の自由さえも奪う勢いの「愛国心」を象徴する星条旗を掲げてしまう知性の欠如ぶり。追悼するのはいいけど、もう少しやり方があるだろう、と思わずにはいられません。これがイギリスのフットボール会場なら、パルプのジャーヴィス・コッカーはコモン・ピープルの代表としてステージに上り、持ち前のコモン・センスで今度はボノを殴り倒してくれたかもしれません。そして僕は、チャリティに奔走するU2について「ボノってほんと恥ずかしいやつだと思う。あいつが何か言うたびにどっかに隠れたくなるよ」といった趣旨の発言をしていたモグワイ、スチュワート・ブレイスウェイトの言葉を改めて思い出さずにはいられないのでした。

2002年3月15日(金)
ブックマンが欲しい。一時期のロッキング・オン誌の渋松対談で何度も話題に上った、ブックマン。見たこともなく、またそれが何なのかいまいちよくわからないまま、僕はそんなことを思い、独り、数えていました。腰を痛めながら。トイレの前の狭い空間で。独り。積み重ねられた何百冊もの雑誌を、独り、クロゼットから運び出してはタイトル毎に揃え、数を数えて、戻す。
一体いかなる因果でかように過酷な労働に従事せねばならなかったのかといいますと、それは、フィクション・インクが、決算期を迎えていたからなのです。決算期。あぁ、実はフィクション・インクって会社だったのね。そして僕は在庫管理係だったのね。これはいわゆる棚卸という作業でありまして、各書店、そしてフィクション・インクに在庫がどれほどあるのかを調査し、表を作成して税理士に提出するわけですが、そのフィクション・インク在庫分の計算を僕は行っていたのです。計算が肉体労働であるということに少なからぬ疑問を抱いた僕は、今こそオフィス革命だ、と、エクセルでの在庫管理を大類に提唱しました。そして、税理士の方が作成してくれたひな型を元に、表を作成したのです。ところが。それを見た大類は、「使うかなぁ?」などとおっしゃる。うぅ。革命兵士は孤独です。ですがやりました、僕。革命。各書店への納品、そして返品もこれからはエクセルで一元的に管理。これで請求額の計算も楽ちんだ、なんといっても僕は請求担当でもあるしね。などと喜んでいて思い出したのですが、思えばこんなこともありました。それは去年のこと。まだ渋谷のディープ・ギャラリーの頃です。ある日、いつものように僕が出勤すると、机の上に某取引先の膨大な納品書&返品書、なんと3年分。一体これは何なのかしらん、と、大類に尋ねると、「請求額を計算して」とおっしゃる。そのときはじめて、僕は、自分がフィクション・インクの請求担当であることを知ることになるのですが、それ以上に驚いたのが、請求額。もう、なんというか、僕の年収の4倍弱、消費税分だけで僕の2ヶ月分の所得を上回る額でありまして、商事債権が5年の短期消滅時効にかかるのを知ってか知らずか、こんな額を今まで放っておいて、それも引越しに伴う整理で出てきたからという消極的な理由で請求なんて一体どういうつもりかしらん。やはり大類は良くも悪くもデザイナーであって社長ではないのだなと実感した次第です。で、結局どうなったかといいますと、無事受け取ることができたのですが、怒られました。もっとこまめに請求してください、と。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。反省しております。でも、もう大丈夫です。ちゃんと請求します。革命しましたから。エクセルですから。

2002年3月26日(火)
泥酔した翌日の朝の、覚醒と酩酊の狭間を揺れるようなひととき、それが夢の中の出来事なのか現実の意識下での思考なのかもよくわかならないままに、様々な音、映像、言葉が、どれが音でどれが映像でどれが言葉なのかも判然としないまま、何らの明確な像も結ぶことなく、しかし全てがあるべき場所にあるかのように存在している共感覚的混沌。こうした体験は多くの凡人にとって再現不可能であり、ただ目覚めたあとに、輪郭の曖昧なぼんやりとした感覚の塊のようなものだけが深く沈みこんだように残るだけで、いくら思い出そうとしても、どこにも辿り着くことのない思考が延々とループし続けるばかり。しかし中にはこうした感覚を完璧に表現できる人もいて、映画作家でいえば、たとえばスタンリー・キューブリック。『2001年 宇宙の旅』の前半のシンメトリックな美しい空間がHALの叛乱を機にアシッドな空間に突入、それを突き抜けた先で展開する様々の説明不能な事象は、まさにそういうものだったのではないかと思うのです。意味不明なのに完璧で、混沌がいわばその絶対値として存在する美しさ。
先日ついに観ることのできた『マルホランド・ドライヴ』の監督、デヴィッド・リンチもそうした映画作家の一人だと言っていいのではないでしょうか。一本の道をてくてくと行けば多少の障害があるにせよそのままハートフルな結末に辿り着くという前作『ストレイト・ストーリー』は、そのあまりの「ストレイトさ」ゆえリンチのフィルモグラフィーに非線形な断層を形成したという点においてかろうじてリンチ的といいうるのみで、本質的に「歪み」の作家であるリンチの映画としてはあまりに物足りない、はっきりいって退屈な作品であったと言わざるを得ません。やはりリンチにおける道は、『ロスト・ハイウェイ』のように、歪められた時間と空間で加速しながら重層化し、不断にずれを形成しながらループし続けて欲しいと思ったものです。ですが、そんなリンチの最新作『マルホランド・ドライヴ』は、「歪み」の作家であるリンチの感性が存分に発揮された期待を裏切らない大傑作!何でしたら宇川直宏氏風に、大傑作!!!!!!!!!!!!!!!!!くらいでもいいかもしれません。もうとにかく素晴らしい。大好きです。二人の女優もとてもよかった。最後がちょと気に入らないけれどそれもまあよしとしましょう。事故で記憶を失った女性を巡る謎の解明として進み出す物語に冒頭からぐいぐいと引き込まれていくのですが、謎の”ブルー・ボックス”を媒介して物語が反転するころから感覚は次第に混乱していき、「シンメトリックな歪み」を見せながら物語が反復されていく後半では、徐々にすべてが明らかにされていくのと同時に、その意味付けをしようとする思考はますます混乱を深めていくことになるでしょう。現実と夢は互いを侵食し、両者は等価のものとして成立している、というかどれが「現実」でどれが「夢」かもわからないまま、すべては混沌としていて、しかしすべては完璧な整合性で構築されている、その倒錯が美しく官能的。おそらくは、映画を観終わってもなお、さまざまな音、映像、言葉がランダムにあなたの脳裏にフラッシュバックし続けることになるでしょう。記憶を失ったブルネットの女、ハリウッドでの成功を夢見る女優の卵、謎の黒幕が下す指令、夢で見た恐怖体験を語る男、殺し屋、豪邸とプール、ベッドに横たわる死体、映画スタジオ、カウボーイと名乗る男の警告、サンセット大通り、銃声、スペイン語で歌われる悲歌、ウェイトレス、恋人に裏切られ自慰に耽るジャンキー、沈黙を破る電話の音、吐き出されるコーヒー、静寂。頭の中で共感覚的に加速していくイメージの連鎖に対し着地点を見つけられない思考はぐるぐると浮遊し、甘美な眩暈のような感覚でゆっくりと狂わされていく、こんな体験のできる映画はそうはありません。必見。

2002年5月21日(火)
以前、テレビでたまたまチャンネルを合わせた『ダイヤルM』をぼんやりと観ていたときのこと。言うまでもなくヒッチコックの『ダイヤルMを回せ』のリメイクですが、ヒッチコック版ではグレース・ケリー演じる人妻が何者かに襲われ、必死の抵抗を続けるうちに偶然手にした鋏で逆に刺し殺してしまうというシーンが、グウィネス・パルトロウ(人妻)がマイケル・ダグラス(何者か)を銃で撃ち殺すというものに変わっていたのを観て何だかとってもがっかりしてしまいました。グレース・ケリーがグウィネス・パルトロウになっている時点でもうすでに「負け」であるリメイク版ですが、上に書いたシーンで鋏が拳銃になっているということは、リメイク版の監督にはヒッチコックに備わっていた繊細な映画的感性が欠落していることを証明しているように思えてなりません。ヒッチコックがフェティッシュな感性を持った作家であるということはよく知られていることですが、『ダイヤルMを回せ』においては、その感性は物語を転回させることになるこの予期せぬ殺人に使用される凶器が、拳銃ではなく鋏でなければならなかったということに向けられていたのだと思うのです。鋏のフェティシズム。果たしてそのようなものがあるのかどうかわかりませんが、心理学的に言えば、「去勢の象徴である鋏を女性が振りかざすその様は、男根主義的存在への反撥を示す一方、形状として男根との類似性を見せる鋏を手にすることでアンドロギュヌス的身体を獲得せんというアンビヴァレンツな欲望を表象しており、、、」などと、まあこれはでたらめを書いているだけですが、そんな感じで何らかの意味づけがなされるのかもしれません。
ところで、僕には、かつてこれほどまでに人を好きになったことがあっただろうかというほどに、もうどうしようもないほどに好きな女性が4人いまして、彼女たちの名を順不同で挙げますと、椎名林檎、アリー、若尾文子、そしてアンナ・カリーナとなるのですが、このうちの椎名林檎とアンナ・カリーナが、僕の中では鋏のフェティシズムで結ばれているのです。林檎と鋏とアンナ・カリーナ。語呂もいい。僕にそのように感じさせるのは、椎名林檎『無罪モラトリアム』収録の“シドと白昼夢”における「あなたの髪を切らなきゃ」というフレーズ、そしてジャン=リュック・ゴダール『気狂いピエロ』での、アンナ・カリーナがキャメラに向かってまっすぐに伸ばした左腕の先で手にした鋏を広げている姿(CUT 5月号のゴダール特集で写真が使われています)。後者において、やはり殺人の凶器として使用される鋏は、もしかするとゴダールによるヒッチコックへの目配せなのかもしれませんし、あの鋏を手にしたアンナ・カリーナのかっこよさを思えば、やはりゴダールにしてもあそこは鋏でなければならなかったのではないでしょうか。また、椎名林檎はさらに、同じく『無罪モラトリアム』収録の“警告”でも、「日の出を待ちきれぬまま 鋏を探し出す あなたは全てをあたしが切っちゃっても効かない・・・」というフレーズを歌っています。こうした彼女たちのどこか攻撃的な匂いを放つ鋏のイメージにはフェティシズム的なエロスがあるように感じられてならないのですが、どうでしょうか。そういうわけで僕は、ジャケット、ヴィデオクリップ、あるいは雑誌などでそうした鋏のイメージが椎名林檎のヴィジュアルに現れることを、『気狂いピエロ』でのアンナ・カリーナのようにかっこよく鋏を手にした椎名林檎の姿を観られることを、ずっと願ってきました。『無罪モラトリアム』ではニコンのカメラを手にし、“罪と罰”ではマリリン・マンソン・ルックで日本刀、“ギブス”では果物ナイフを、また雑誌でも騎士姿で剣を手にし、ラブホテルで苺をくわえたりもした彼女、そろそろ鋏なんかもいいんちゃう?などと思い続けてはや3年。未だその思いは叶わずにいます。今後の彼女のヴィジュアルがどのようなものになるのかわかりませんが、今や一児の母となった彼女、あのときの鋏を手にすることはもう二度とないのかもしれません。オフィシャルHPから壁紙としてダウンロードした現在のところ最新のヴィジュアルは、スタジオでのオフショットといった風情の彼女の姿。その美しい横顔を観て思うのは、知ってたけど再確認、椎名林檎が好き。
などとつらつら書き連ねましたが、フェティシズムつながりで少し宣伝を。その昔、フィクション・インクがフェティシズム/エロティシズムをアートの文脈で考察するディーパー・ザン・アンダーグラウンドな雑誌『SALE2』を発行していたことをご存知でしょうか。ジョン・ウィリー、ピエール・モリニエ、カルロ・モリノ、etcといったアーティストたちの貴重なヴィジュアル&読み応えあるテキスト満載のこの雑誌、とってもアンダーグラウンドなものにもかかわらずそれなりに好評だったようでほとんどが品切れ状態ですが、いくつかの号はまだ少々在庫が残っております。興味ある方は、当ホームページSALE2のコーナーをご覧の上、是非ご注文を。

2002年5月28日(火)
たとえば「ふぃくしょん・いんく」なる出版社が編集したアート・マガジンの感性を信頼できるでしょうか。否。あるいは、近所のコンビニが突如「ふぁみりー・まーと」になっていたら?「こんな名前の店、入るわけにはいかねえ」と隣町のセブン・イレブンまで足を伸ばすことになるでしょう。このように、本来カタカナで表記すべき言葉をひらがなで表記してしまった場合の「まぬけ感」というか「ふざけてる感」は実に深刻な問題を孕んでいます。日本において一般的に使用される文字は、漢字、ひらがな、カタカナ、そしてアルファベットということになるかと思いますが、これらのうちどの文字を使用するか、ということは、とくに名前、タイトルにおいては美的・詩的センスに関わる極めて重要な問題であるといえるでしょう。以前、元ピチカート・ファイヴの小西氏と元サニー・デイ・サービスの曽我部氏の対談で、小西氏はサニー・デイ・サービスの6枚目のアルバムの『MUGEN』というタイトルについて「何で俺がつけなかったんだろう。すごく悔しかった」といった趣旨のことを言っていましたが、この『MUGEN』というタイトルも、たとえば『無限』だったとしたら「どっかのレーシング・チームだっけ?」ということになりますし、またその意味するところとは裏腹に、たとえば「夢幻」といったイメージを封殺してしまうことになります。かといって『むげん』や『ムゲン』もどうかなぁということになり、やはり『MUGEN』だねってことで、あの美しいメロディに溢れたアルバムにふさわしく何となく優しい雰囲気もありますし、いくつものイメージがそれこそ無限に広がる感じもして、実に素晴らしいタイトル、小西氏の嫉妬も当然、ということになるわけです。そういえば小西氏は別の場所で、僕は曲ができる前からタイトルだけはいくつもストックしている、ゲンズブールなんかもそうだったはずだ、YMOもイエロー・マジック・オーケストラ=YMOという名前を思いついたときにあの壮大なプロジェクトは始まったんじゃないか、といった感じのことを書いていました。なるほど。
さて、そんなYMOのメンバーでもあった細野晴臣がかつて在籍していたバンドへのトリビュート・アルバムがつい先日リリースされました。小西康陽、曽我部恵一、そして当の細野晴臣自身他、スピッツ、くるり、グレート3片寄明人+ジョン・マッケンタイア、それに何故かジム・オルークfeat.田島貴男、などなどの多彩なアーティストたちがトリビュートしているそのバンドの名は「はっぴいえんど」。ここで冒頭のテーマが絡むわけですが、思うに「はっぴいえんど」という名前は先の「まぬけ感」、「ふざけてる感」を免れているばかりでなく「カタカナ語をひらがなで表記したのにかっこいい」という離れ技を決めているほとんど唯一の例なのではないでしょうか。細野晴臣、鈴木茂、大瀧詠一、松本隆によるこの「はっぴいえんど」は、それまで論争の的なっていた「ロックのリズムに日本語は乗るのか」という問題を克服というか、おそらくは「何、その論争?」くらいの感じで(と思えるほど、ごく自然に)、いくつもの素敵な日本語をロックに乗せ、いくつもの素晴らしい歌を生み出したわけですが、その遺伝子は確実に後のアーティストにも受け継がれていて、たとえば『風街ろまん』(あ、これもそうですね、唯一じゃありませんでした。風街ロマンだとなんかって感じですし)収録の“暗闇坂むささび変化”を聴けば、瞬時にサニー・デイ・サービスの“東京”が思い浮かぶし、“風をあつめて”のイントロが流れれば、そのままくるりの“春風”が始まってもおかしくない雰囲気を持っていたりするのです。ところで、こないだNHKで放映していた『伝説のフォーク大全集』といった感じの番組で、動いている大瀧詠一を見たい、とのリクエストに答えてあがた森魚の映画のワン・シーンが流れたのですが、そこには大瀧詠一のほか、あがた森魚本人、横尾忠則、緑魔子、桃井かおりなんかがいたりしてびっくり。何という映画だろう。横尾忠則といえば寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」のポスターを作ったりしていたわけですが、はっぴいえんどもそのころのアングラ演劇に音楽で参加していたりしたようです。「コラボレーション」などというものを超えて、さまざまなアート・フォームがごく自然に絡み合っていたんだろうな、と思わせるなんだかとても面白そうな時代。追体験しかできないけれど、いろいろと観たり、聴いたり、読んだりしてみよう。
で、今回のトリビュート・アルバムはいったいどうなの?ってことになるわけですが、まだ買っていないので何とも言えないのですけども、いくつかの曲をちらとラジオで聴いたりした感じでは、どのアーティストもリスペクトを込めて、また、ほんとうに好きなんだろうなぁ、といった感じでカバーしており、好感が持てました。「春らんまん」から「夏なんです」へと向かう今の季節、「風をあつめ」ながら街へ出かける際のサウンド・トラックにぴったりの爽やかなアルバムではないかと思います。これを機に、参加しているアーティストのファンの方たち、いままではっぴいえんどを知らなかった方たちが、はっぴいえんどの音楽を知ることになればそれはとても素敵なこと。というわけで、是非聴いてみてください。

2002年6月11日(火)
2002年6月9日。ついに、ついに日本代表はW杯での初勝利をあげました。僕はもううれしくてうれしくて、勝利の瞬間、弟と固い握手を交わし、喜びを分かち合ったのですが、みなさまはいかがだったでしょう?僕がサッカーを始めたのは小学校4年生のとき、したがってマラドーナの大会となった86年のW杯はリアル・タイムでは観ておらず、初めてのW杯体験は90年のイタリア大会だったのですが、当時はまだJリーグもなく、TVで観るサッカーといえばトヨタカップという時代、ACミランのファンだった僕は、ファンバステン、フリット、ライカールトのいたオランダ代表を応援するといった感じで、日本代表になど全く思いを馳せることはありませんでした。しかし数年後、Jリーグが始まり、日本サッカーの盛り上がりとともに迎えた94年アメリカ大会の予選では、カタールで行われた最終予選を夜中までテレビで観戦し、熱い声援を送り、叫び、そして打ちのめされ、落胆し、もう一度叫んでからちょっと泣いて、茫然自失のまま受けた翌日の2学期の中間試験も散々、という苦い思いをするまでに、僕は日本代表のサポーターになっていたのです。それから4年後、監督の途中交代など紆余曲折のあった98年フランス大会へ向けてのアジア予選、これに勝てばW杯という対イラン戦、中田がパスを出しても出してもそれを受けるフォワードのシュートが一向に決まらず、半ばいらつきながら、半ば祈るような気持ちで観ていたのですが、おそらくは中田本人も「お前らが決めねえなら俺が決める」といった感じで撃ったと思われるシュートを相手ゴールキーパーがはじき、そこに詰めた岡野が押し込んで、決勝ゴール、僕は「わきゃー」なんて叫んで文字通り飛び跳ね、歓喜に狂っていたのでした。しかし本大会は3連敗。「1点取ったからどうした」と言いたくなる完敗だったのです。こういった歴史を経て、6月9日、ロックの日、日本代表は、悲願の初勝利などという到達点ではなしに、決勝トーナメントを見据えた、あくまでも過程における一勝利として、ロシアを破ったわけです。選手たちのコメントを聞いても、そうしたクールな、しかし熱い闘志を秘めた想いが伝わってきて、これならいけるぜといった感じ。決勝トーナメント進出の決まるチュニジア戦の翌日はポイント2倍のタワーレコードで買い物をしよう。
などと一端のサポーター気分で書いてきましたが、正直に言うと、もちろん応援はしているのですがいわゆる「サポーター」といった感じではありません。持っているユニフォームもブラジル代表、ドイツ代表など他国のものばかりですし、おそらく仮にスタジアムに入れたとしても「♪オーレーオレオレオレー」などと歌うのは躊躇われるものと思われ、しかもこれだけ書いといてなんですが、見逃しました、ロシア戦の稲本のゴール。というのもその日は6月9日、ロックの日、僕はクラブチッタ川崎でのジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのライヴにて自らのブルースをエクスプロードさせながら、ジョン、ジュダ、ラッセル=猛牛が爆発させる音に狂い、叫び、飛び跳ねていたのです。いやー、すごかった。僕は彼らのライヴは初体験だったのですが、あんなにも忘我のうちに叫びまくったライヴは初めて。ステージの前方にこじんまりと3人がトライアングルを作るので、スコポンスコポン、ドカドカドカとドラムを叩くラッセルすらすぐ眼の前。体をゆらゆらと左右に揺らしながらギターを弾くジュダ、そして、叫んでも、マイクを咥え「うぼぼぼぼ」などと発しても、ギターを弾きながらジャンプを決めても何をしても絵になるかっこよさをみせるジョン、その腰には“JSBX”というバックルのベルト。うーん、かっこいいぜ。最新アルバム『プラスティック・ファング』の曲はもちろん、“afro”、 “bellbottom”、“blues x man”、“full grown”といった昔の曲も演ってくれて大盛り上がり。特にみんなで「ファーーーック」なんて叫んでいた“full grown”ではラッセルの超パワフル・ドラムの上に、ジョンが変なアンテナのついた小箱(あれがテルミン?)をいじって鳴らす聴覚を狂わせるような電子音がどんどん音量を上げながら覆いかぶさっていって壮絶でした。そして笑えたのがラスト近く、ジョンがギターのコードを見つけられず、これじゃない、あれじゃない、とステージをふらふらしてる間、予定外に長引くドラムをラッセルがドッカドッカ両腕で叩きまくるはめになってたこと。ジョンに「早くしろよ」といった感じで視線を送るラッセル。その危機を脱したあとも、そんなラッセルに感謝しつつ称えるようなジェスチャーをジョンがするもんだから僕たちはますます盛り上がって、ラッセルはなかなか終われずに、ジョン、ジュダが相次いでステージを去ったあともスティック折りながらさらにドカドカ叩いてました。最後は笑顔で去っていくラッセルに精一杯の歓声を送りつつ終了、僕は日本戦を観るべく家へと走り、話は冒頭へと戻るのであります。

2002年7月9日(火)
今日は、このあいだ偶然に見つけたとあるホームページをご紹介しようと思います。といっても知らなかったのは僕だけかもしれませんが。
アドレスは、 http://www.annakarina.com.fr。そう、アンナ・カリーナのオフィシャル・ページなのです。
僕が初めてアンナを知ったのは今から数年前、大学に入ったばかりの18のとき。それまでの僕はヌーヴェル・ヴァーグもゴダールも知らず、『ローマの休日』を観て以来オードリーに首っ丈で、毎年のように彼女のカレンダーを買っては、ジバンシーを上品・エレガントかつ可憐に着こなす彼女の美しさにため息を漏らしていたのですが、大学でたまたま受講した映画論の授業でゴダールを知るやいなや、当時リバイバル上映されていた『ワン・プラス・ワン』を皮切りに、かたっぱしからビデオを借りる、池袋の小さな映画館まで『ヌーヴェル・ヴァーグ』と『ゴダールのマリア』の二本立てを観にいく、渋谷系おしゃれ映画としてレイト・ショーされるたびにシネ・セゾンに足を運ぶ、などして、ヌーヴェル・ヴァーグやゴダール、そしてアンナ・カリーナにはまっていったのです。そうこうするうちに、ふと気がつくと部屋の壁に貼られたポスターは『麗しのサブリナ』のオードリーから『女は女である』のアンナに変わっていたのでした。
では、アンナのページを覗いてみましょう。何年か前のカトリーヌのプロデュースによるアルバム『Histoire d'amour』の発売に合わせて作られたようで、そのジャケ写がまず目に入ります。コンテンツは大きく映画、音楽、著作に分かれ、それぞれの作品リストと写真が少し、あとはバイオグラフィなど。実は自分で映画を撮ったり、小説を書いたりもしているのですね。音楽のページへのリンクになっている<MA LIGNE DE CHANSONS>とはもちろん、『気狂いピエロ』で彼女が歌った“MA LIGNE DE CHANCE”にかけたもの。行ってみると、ゲンズブールとアンナとカトリーヌの写真があり、このうちのアンナの写真をクリックすると、なんと『気狂いピエロ』や『女は女である』のレコード・ジャケットが。ピチカートの小西さんなんかはやはり持っているのでしょうか。以前、タワレコのフリーペーパーbounceで『女は女である』のほうのプレゼントがあったのですが、見事にはずれたのを思い出します。続いて、バイオグラフィ<la biographie>を見てみると、上にいくつもの写真が。幼少のアンナのほか、なんとモデル時代に表紙を飾ったらしい『ELLE』や、ほかにも『PARIS MATCH』の表紙など、おなじみのゴダール映画のスチールとは違う写真を観ることができてうれしい。というか欲しい。画像が大きくならないのが残念。
最後に映画のページ<les film d'anna>へ。『アルファヴィル』のときのものと思われるアンナの眼のクロース・ショット写真が印象的。フィルモグラフィを見るとけっこうたくさん出ていることがわかります(まあこういった情報はいろんな本に出てますが)。それにしてもゴダール映画以外ほとんど観たことがありませんでした。少なくとも60年代のものくらい全部観たいものです。このなかで僕が前々から気になっているのが、『異邦人』。原作はもちろんアルベール・カミュ、監督はルキノ・ヴィスコンティ、主演はアンナとマルチェロ・マストロヤンニ。錚々たる顔ぶれなのになぜかリバイバルもされないしビデオも見つからないのは、駄作ってことですか?それともあの忌まわしい権利関係というやつでしょうか。どなたかリバイバルまたはビデオ化を、あるいはNHKあたりで放映してくれることを切に願います。
で、この映画のページ、フィルモグラフィとアンナ自身の監督作のページのほかにもうひとつ、<Jean-Luc Godard>というページへのリンクがあります。これだけでもアンナにとってゴダールが特別な存在だったことがわかりますが、さらにその内容はというと。愛し合っていることがよく伝わる二人の写真を背景にこんな言葉が書いてありました。

ピグマリオン…愛そして夫
『小さな兵隊』、『女は女である』、『女と男のいる舗道』、『はなればなれに』、『気狂いピエロ』、『アルファヴィル』、そして『メイド・イン・USA』。彼と一緒に作った7本の美しいフィルム。ヌーヴェル・ヴァーグ。しあわせ。いくつもの映像。わたしたちは愛し合い、傷つけ合った。別れ、砕かれた夢、離婚。でもね、ジャン・リュック、たとえ映画がわたしたちを引き離したとしても、美しい映像が残っている、けっしてわたしたちから遠ざかることのない映像が。
アンナ

別れてもなお『気狂いピエロ』、『メイド・イン・USA』、そして『未来展望』という3本のフィルムを共に作ったゴダールとアンナ・カリーナ。その後、二人のあいだに、会ったり連絡を取りあったりということがあったのかどうかわかりませんが、ゴダールと別れた後もさらに何度かの結婚そして離婚を経験したアンナが愛し続けたのは、やはりゴダールだったようです。

2002年7月30日(火)
今回は、先月号のCUT誌「映画と音楽」特集をぱらぱらと観ていろいろと思い巡らしていたので、そのことを書こうと思います。
僕は映画も音楽も好きですが、サントラというものはあまり買うことはなく、持っているものも多くありません。最近はやりの、ヒット曲満載で映画とはあまり関係のない単なるコンピレーションのようなものには「サントラ」としては惹かれませんし、いわゆるスコアものも、たとえば『スター・ウォーズ』なんかはあの壮大なオーケストラを聴くとどうしようもなく気分が昂揚するのですが、銀河系の遥か彼方の映像なしに聴きたいとは思わないように、とくに音楽だけを聴きたいと思うようなものがそうはなく、『easy tempo』シリーズのようなイタリア映画のおしゃれラウンジ系サントラも、心地よかったりかっこよかったりで好きですが、映画の方を知らないためサントラという気がしない。などと勝手な理屈でふるいにかけつつ残った極私的サントラ・ベスト3は以下のとおり(順不同)。
ルイ・マル『死刑台のエレベーター』
出来上がった映像をエンドレスで流し、それを観ながら即興で旋律を紡いでいったというマイルス・デイヴィスの死ぬほどクールなジャズが、殺人の緊迫感を、夜のシャンゼリゼを独り歩くジャンヌ・モローの憂鬱を、疾走する自動車のスピード感を、計画に不可逆的に狂いが生じていくサスペンスを完璧に音像化しています。かっこいい。これを聴いて初めてジャズのかっこよさを知り、ジャズを聴き出すきっかけとなった一枚。マイルスはいまやフェイバリット・アーティストに。
ウディ・アレン『マンハッタン』
美しいモノクロームのフィルムにマンハッタンの情景が次々と映し出される冒頭のシークエンスで流れる”rhapsody in blue”に始まり、全編にガーシュイン。本当に美しい、文字どおり珠玉の名曲ばかり。”but not for me”、”love is here to stay”や、スティングもカバーしている”someone to watch over me”といったおなじみの曲が、登場人物たちの感情をなぞり、しゃれた会話を演出し、モノクロームの映像に色彩を与え、観ている者の心に染み入ってきます。なかでも、ラスト近く、あらゆる映画シーンの中でももっとも好きなものの一つである、ウディ・アレンがソファに横たわり、次々と自分の人生を豊かにしてくれるものの名を挙げていくなかで、ふとある名前を口にして起き上がり、少し迷ってからジャケットを手にし、走り出すあのシーンで聞こえてくる”he loves she loves”という曲は、よせてはかえす波のように緩やかに心を浸していくほろ苦い悔恨の情のあとに仄かな希望のようなものが差し込んでくる感じがあのシーンと見事に溶け合い、どうしようもなく心を掴まれます。思わず涙。ちなみにここに収録されている”sweet and low-down” という曲のタイトルは、『マンハッタン』から約20年後に撮られることになる『ギター弾きの恋』の原題です。
ジャン=リュック・ゴダ−ル『ヌ−ヴェル・ヴァ−グ』
60年代のゴダ−ルは、ミシェル・ルグラン(『女は女である』、『はなればなれに』など)や、アントワーヌ・デュアメル(『気狂いピエロ』、『ウィークエンド』)、ジョリュジュ・ドリュドゥ−(『軽蔑』ちなみに、この美しい『軽蔑』のテーマ曲のジョン・ゾーンによる破壊的カバーはものすごくかっこいいです。『ネイキッド・シティ』収録。さらにちなむと、ジョン・ゾーンには『ゴダ−ル』という作品もあるのですが、、、タイトル買いはやめましょう。。。)といった作曲家にオリジナルの音楽を依頼していたわけですが、後にソニマージュの追求とともにベートーベンやモーツァルトなどのクラシックをぶつ切りにして台詞や他のノイズとともに音の一要素に還元し、それらを自在にコラージュして、驚くべき音像、実に美しいノイズ・オーケストレーションを構築していくことになるのは周知のとおり。おそらくはその一つの極点にあるのがこのサントラだと思います。映画の音要素をすべて収録した文字どおり聴く映画となっていて、チェロの音が車の通り過ぎる音に重なっていったり、突然パティ・スミスが聴こえてきたと思うとぶつっと切れたり、といった見事な音処理に触れていると感覚がどんどん研ぎ澄まされていくのと同時に、ぶつぶつぶつ、ぼそぼそぼそ、とフランス語の台詞が互いに重なりあい、そこに様々なノイズも重なりあって、ある種のゴダ−ル映画で体験される信じられないほど心地よい眠りへと誘われます。ちなみに『ヌ−ヴェル・ヴァ−グ』以後、最新作『愛の世紀』まで度々その楽曲が使用されることになるチェリスト、デヴィッド・ダーリングのチェロの深みある美しい音が堪能できる『チェロ』という作品は、ジャケットに『パッション』の冒頭の空、一切の意味や説明を拒絶するただ純粋な事物そのものの美しさを捉えたかのようなあの空の写真が使われており、さらにゴダ−ルに捧げられた”two or three things”という曲も収録されています。
それから、サントラとは別に、映画と音楽を語るなら絶対にはずせないのが、スタンリ−・キューブリック『時計じかけのオレンジ』での”雨に唄えば”。ジーン・ケリ−が同名映画において雨に濡れながら踊っていたステップと同じ軽やかさで、押し入った家の女を蹴りとばしながらレイプするという、あのシーンで口ずさまれていたのがこの曲なわけですが、あそこでデス・メタルなどを流すのではなしにこの曲を唄わせたというキューブリックの秀逸な演出により、あのシーンはあの映画の不条理な暴力性をもっともラディカルに表現していたと思うのです。たぶんあの映画を観たひとなら”雨に唄えば”は悪夢のようにまとわりつく忘れることのできない「映画音楽」だと思うのですがどうでしょう。

2002年8月27日(火)
かつて僕がまだ学生だったころ、ソニー・MDウォークマンのCMが“プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック”をバックにヘッドフォンを耳にあてながら踊るピンク色のドレスを着た奥菜恵から“アディクティッド・トゥー・ユー”を歌う宇多田ヒカルへと変わったことに少なからぬ落胆をおぼえた僕は、その旨を幾人もの友人に訴えたのですが、みな「何が問題なのかわからぬ」といった様子で一向に相手にしてくれず、さらには世間的にもその変化は好評だったため、やはり感性がずれているのは僕のほうなのかしらん、と、独り動揺を隠し切れずにいた経験があるのですが、最近、またも同種の事態に陥り、困惑を隠し切れない日々が続いています。というのは茜の問題。そう、テレビ・ドラマ『私立探偵濱マイク』でのマイクの妹、茜のことなのです。
『我が人生最悪の時』、『遥かな時代の階段を』、『罠』という林海象によるオリジナル三部作で僕たちが知る茜は、頭が良く、兄想いで、いつも危険な事件に巻き込まれる兄を心配しては涙を流し、時に心配のあまり怒りだす、そんな心の優しい妹で、地味ではあるけれど清楚な美少女でした。ところがテレビ版では、基本的性格は変わらないものの、今頃てっきり大学生になっているのかと思いきやなんと浪人。まあそれはいいにしても、茶髪で、なんというか、ヒステリック・グラマーみたいなかっこいいファッションの似合う今風な感じの人になっていたのです。僕はしばらくのあいだ彼女が茜であるという事実を上手く飲み込めずうろたえるばかりだったのですが、またしても世間的には僕と同種の反応は皆無、それどころか、永瀬正敏と二人して雑誌の表紙を飾るなど、何ら問題なく受け入れられているようなのです。感性の敗北。連敗。とはいえ、茜を演じる中島美嘉という女優さんは眼に不思議な魅力のあるかっこいい美少女で、今まで知らなかったのですが実は歌手らしく、聴いてみると歌声も素敵で、結構好き。こんな茜もいいかなということで今回は引き分けといったところでしょうか。
などとつらつら書き連ねて茜の問題はクリアしたわけですが、テレビ版『私立探偵濱マイク』にはまだいくつかの残念な点があります。
まず、シリーズ物には定型が反復されることの魅力というものがあるわけでして、たとえば『007』シリーズなら、「お前は誰だ?」と問われたジェームス・ボンドにはやはり「ボンド。ジェームス・ボンド」と答えてもらいたい。いきなり「ジェームス・ボンド」と答えるようでは『カジノ・ロワイヤル』の偽ボンドになってしまうわけです。これを『濱マイク』シリーズでいうと、「おれの名前は濱マイク。本名だ」で始まるおなじみの自己紹介、映画では、ちょうど『男はつらいよ』シリーズにおける「わたくし生まれも育ちも葛飾は柴又、、、」のように冒頭必ずこのせりふを言い、小ネタのギャグへとつなげてから始まるわけで、こういうところをきちんとやってほしいと思うわけです。連ドラなので毎回はくどいにしても初回くらいちゃんとしろよ、と思っていたところ、ちゃんとしませんでした。残念。
第二の残念は物語の構造です。マイクは探偵なので当然「追う側」の存在ではあるのですが、映画では「追う」ゆえに「追われる」ことになる。つまり対決の構造が生まれるわけです。そして、その対決構造が深まるにつれて物語は徐々に日常を逸脱していき、ついに「追う」と「追われる」がぶつかるときマイクと敵との最後の対決が行われ、結果、勝利して日常へと帰ってくるわけですが、たとえば『遥かな時代の階段を』における白い男のアジト、あるいは『罠』での下水道といった対決の場となる空間の奇妙に歪んだサイケデリック感が映画の大きな魅力だったりしたわけです。ところがテレビ版では、時間の都合もあるかもしれませんが、そもそもそうした対決構造がなく、マイクはただ依頼を受けて「追う」だけの人になっている、あるいはあっても描ききれておらず、物足りない(とくに窪塚洋介が出てくる回はひどかった)。それぞれにテレビの連ドラとは思えない説明を排したシュールな感覚の物語になってはいますが、それもなんか消化不良な感じがします。残念。
最後は映像についてです。ミュージック・ビデオ出身なのかわかりませんが、何人かの監督の「こんな感じの映像どうよ?」といった感じでちょっと変わったことをやってるときの失敗感が痛いのです。せっかく全体的にはかっこいい映像になっているのに細部でちょっとやりすぎたというか。ちっとも効果的でないというか。そういうことをするのなら、市川崑の『鍵』のようにさりげなくかつハッとさせられしかも笑わせてくれるような映像を期待したいと思うのです。残念。
と、散々残念がってきたのですが、じゃあ観る価値はないのか?というとそんなことはありません。サイケデリックな「対決」がないかわりに、いくつかの回では依頼人の「想い」に焦点を当てた(ゆえに敵はいなかったりする)抽象的で浮遊感のあるちょっと切ない物語が詩的な映像で綴られていて、それがとても美しい。特にUAの回などほんとうにクオリティが高く、今のところ最高傑作だと言っていいのではないでしょうか。視聴率的にはかなり苦戦しているようですが、最終話は林海象が監督し、そのまま映画へとつなげていって欲しいと思うのは僕だけではないでしょう。期待しています。

2002年11月26日(火)
「最終話は林海象が監督し、そのまま映画へとつなげていって欲しい」などと書いていた頃は遠い昔に過ぎ去り、もう11月も終わりですよ。結局、最終話の監督は利重剛でした。林海象はどうしてるのかしらん、と思っていたら、六本木で特集上映されているようです(終わってるかも)。僕のおすすめは『夢見るように眠りたい』。モノクロ・サイレント、映画が夢であることへのノスタルジー、ロマンティックなフィルム・ノワール。素敵です。
さて、ここのとこまったくといっていいほど映画館には行っておらず、唯一、半ば義務的に足を運んだのがゴダールの『勝手に逃げろ/人生』、ナタリー・バイが自転車で走る姿が突然スローモーションになる有名なシーンを美しいと思った以外は退屈し、スローモーションもあまりに多用するためやや興ざめで、ちょっとシネフィルにはなれないなと思いました。というわけで、この3ヶ月のあいだに観た映画の中でもっとも良かったのは、テレビで観た市川崑の『青春怪談』、とても日活とは思えない実に市川崑らしい洗練されたモノクロ映像が美しい。たとえば『黒い十人の女』など、こうしたモダンな映像感覚が市川崑の大きな魅力であるとよく言われるわけですが、それ以上に、ぼくが市川崑を愛するのは、そのディテールの演出の絶妙な可笑しさゆえであったりします。たとえば『満員電車』で川口浩がガールフレンドとお別れのキスをするシーン、『わたしは2歳』のラストでケーキを切るときの山本富士子の見せるちょっとした仕草、あるいは『ぼんち』で山田五十鈴が部屋に入る際につまづくシーンの唐突な画面の躍動感、などなど。そうした感覚は『青春怪談』においても遺憾なく発揮されていて、それを体現しているのが轟夕起子、そう、この映画での轟夕起子はすばらしい!どう形容したらいいでしょう、なんというか原節子をうんと太らせてかわいらしくしたおばさんといった感じの人なのですが、彼女の演じるキャラクターがとってもキュート、あちらこちらで見せる仕草が可笑しくて、この映画の最大の魅力になっています。ほかにも、轟夕起子の息子である青年実業家を三橋達也が飄々と演じ、その幼なじみでバレエ・ダンサーを目指す女性を北原三枝が淡々と演じて、それぞれのちょっと風変わりなキャラクターを見事に表現しています。この2人の、どこか他人事のような、しかし温かみのある関係も印象的でした。なんだかとてもハッピーな気分になる映画。ビデオ化されていないのが残念です。録っとけばよかったなと後悔。機会があればぜひ観てください。
話は変わって、最近のフィクション・インクは何をしているのかと申しますと、purpleとの共同編集で“PURPLE STARS”という写真集を作りました。今までpurpleに登場した数々の“スター”たちのポートレイトを集めたこの写真集、ちょうどアンソロジー的内容になっていて、今では入手困難な初期のpurpleの写真も観ることができ、いいのではないかと思います。テリー・リチャードソン撮影のくたびれた感じのジョンスペとか、マーク・ボスウィック撮影のキム・ゴードンの写真とか。とくにキムの写真は、3枚あるのですが、どれも最高にかっこよく、必見です。 purple fashion #3掲載のものということなので、観ていない方も結構いるのではないでしょうか。この機会にぜひ。値段もpurple本体よりも安い破格の1720円ですし。
最後にPurpleに関してもうひとつ宣伝を。シネセゾン渋谷でレイトショーされるフィリップ・ガレルの『白と黒の恋人たち』という映画(ガレルとニコの愛の日々が描かれているらしい)があるのですが、その主人公を演じる二人、メディ・ベラ・カセムとジュリア・フォールがこれまた映画そのままに実際に愛し合うようになったらしく、そんな二人の、ある午後に流れる時間の経過をレティシアが撮影したフォト・ストーリーがpurple #11に掲載されています。このメディ・ベラ・カセムという人は俳優やったりモデルやったりしつつも、本来は作家であるらしく、この映画の後にも、愛と欲望の関係についてラカン的解釈を施した本を書いたりしているらしいのですが、「けっ!」などと思わずに、映画を観た人はpurple #11も買いましょう。映画は、フィリップ・ガレルですし、撮影がラウル・クタールですし、期待できると思います。シネセゾンでレイト・ショーということは、ゴダールの『恋人のいる時間』の後かな?こっちのゴダールは60年代だからきっと楽しく観れるはずなので、早く観に行こう。この映画、たしかゴダールはアンナ・カリーナを主役に考えていたのに、アンナは別の映画があったので断ったとかだったはず。いまさらながら悔やまれてなりません。これに出ていれば、ゴダール×アンナ・カリーナは短編の『未来展望』を2分の1としてちょうどフェリーニの映画のようになっていたのに。

2003年7月29日(火) 六本木ヒルズでジャック・タチを観る
オープン当初の宣伝や報道を目にするたびに「行くまい行くまい」と心に誓った六本木ヒルズ、「アーテリジェント・シティ」という美的にも知的にもいまいちセンスの感じられない呼び名を持ったこの場所に行くはめになったのは、僕が、家では独り、ユロ伯父さんの真似をして前のめりになって歩き、さらにはそのまま腰を曲げ歩を速めてグルーチョ・マルクスの真似をして遊ぶほどに、ジャック・タチの映画が好きだからなのです。事実、『僕の伯父さんの休暇』におけるテニス・シーンほどに映画を観て笑ったのは、他にはマルクス兄弟の『我輩はカモである』における有名な鏡のシーンくらいのもので、あのシーンだけでもジャック・タチを愛するに十分な理由になるのではないでしょうか。そのジャック・タチのフィルム・フェスティバルが、どういうわけか六本木ヒルズ内の映画館で開催され、ビデオ化もされておらず長らく観ることのできなかった『プレイタイム』を上映するとのこと、これは何としても行かねばと、「六本人」と呼ばれてしまうかもしれないリスクに多少の躊躇いを感じつつも、僕は、六本木ヒルズへと足を運ぶ決心をしたのでした。てっきり僕は、六本木ヒルズ内はすべて村上隆氏のキャラクターが描かれたファンシーな空間と化しているものと思い込んでいたのですがそんなことはなく、とはいえ、油断すれば周りの人から「これであなたも六本人ですね!」などと言われるかもしれないわけで、事態は文字どおり「両側に気をつけろ」状態、左右のパンチを鍛えておかなかった自分をつくづく反省しつつも、なんとか無事に劇場へ。
素晴らしい作品でした。ガラスを多用した超モダンな建築、人物や自動車の画面への出入り、ビルの明かりやネオンサインの点滅といった画面を構成するあらゆる要素のデザインが素敵だし、『ぼくの伯父さんの休暇』でも聞くことのできたドアの開閉音をはじめ、さまざまな音への繊細な感覚も映画にコミカルなリズムをもたらしていてとてもよかった。アメリカ人団体客のパリ観光を縦軸に、空港、オフィス、インテリア関連商品の国際見本市、ナイトクラブ、カフェと舞台を変えながらあちこちで騒動が繰り広げられるのですが、そのハイライトは何といっても準備不足で難ありのまま新装開店したナイトクラブ、タチ的記号である矢印に導かれて次から次へと人が押し寄せ、ジャズとダンスの狂騒と計算され尽くしたカオスへと突入していく様子は圧巻でした。「誰もが一日30分はユロ氏になれる」というコンセプトで作られたこの映画は、ユロ氏を主役として突出させるのではなく、ユロ氏も大勢の登場人物のうちの一人となり、いろいろな登場人物がみなちょっとずつ可笑しい、という構成を取ったために公開当時は不評だったようなのですが、タチの意図は完全に達成されていたように思います。
帰り道、六本木から渋谷方面へと混雑した道路をバスで移動したのですが、いろいろな人が通りを歩いていたり、路地へと曲がっていったり、交差点で待っていたり、あるいは工事中の人たちがいたり、自動車がクラクションを鳴らしていたり、バイクや自転車が通り抜けていったりして、そんな様子を窓から眺めているとあたかもキャメラがパンしながら捉えているよう、なんだかタチ的世界の延長にいるような感じがして、ちょっと幸せな気分になりました。

2003年8月12日(火) 追悼 グィド・クレパックス
去る7月30日、ミラノにて、グィド・クレパックスが病気のため亡くなりました。70年の生涯でした。つい最近、フィクション・インクは彼の作品集、代表作の一つである『Belinda』と60年代から70年代に描かれた作品からセレクトしたドローイングとで構成された作品集である『CREPAX 60|70』を出版したばかりであり、そのためのやりとりを彼と行っていただけに、急の訃報に驚くとともに、残念でなりません。この悲報を大類はコレットのサラからのメールで知り、マダム・クレパックス宛に、万感の思いで弔電を送りました。
クレパックスは、広告ポスターや本の表紙、(主にジャズの)レコード・ジャケットなどを描くイラストレーターとしてそのキャリアをスタートさせました。24歳のときにはすでにシェルの広告キャンペーンを手がけ、賞を受けています。26歳のときからコミックを描き始め、ヴァレンティーナ、ベリンダ、アニタ、ビアンカといったヒロインたちを主人公としたいくつものオリジナル・ストーリーのほか、サド侯爵やレアージュ、バタイユなどのエロティック文学を題材としたコミックも描いてきました。そのスタイルは洗練を極め、どの作品においてもクレパックスの持つフェティッシュな視線はヒロインたちを美しく造形し、物語はジャズに影響を受けたという斬新なリズムを刻み、前衛的な画面構成の中でエロティックに躍動しています。クレパックスの評伝の著者 Graziano Fredianiはクレパックスについて、「彼は官能性を革新させたコミックにおける革命的存在であり、彼以前にコミックにおいて夢幻的水準に達した作品は存在しない」と評しています。
クレパックスが描いてきた数多くの女性の中でも、クレパックスを語る上で絶対に欠かすことのできないのが1965年に初めて描かれることになるヴァレンティーナ、ルイーズ・ブルックスへのオマージュでありクレパックス永遠のミューズであるヴァレンティーナです。Graziano Fredianiによれば「現代のボヴァリー夫人、夢とオブセッションの果てまで生きる自由を持った女性」。アンニュイな視線、官能的で挑発的な唇と腰のラインを持ち、『女と男のいる舗道』におけるアンナ・カリーナがそうであったようにルイーズ・ブルックスと同じショート・ボブの黒髪を持つヴァレンティーナ。当初は美術評論家フィリップ・レンブラントのフィアンセという役で登場する彼女は、いくつかのエピソードを経てすぐに主人公となり、その後、いくつもの冒険へと旅立つことになります。この冒険をめぐって『CREPAX 60|70』にも収められているクレパックスの、ヴァレンティーナへの相反する感情を吐露した文章からは、彼がいかにヴァレンティーナを愛していたか、彼にとってヴァレンティーナがいかに特別な存在であったかがよく伝わってきて感動的です。1995年に発表されたシリーズ9作目を最後に、彼はヴァレンティーナを描くのをやめることになるのですが、先日のクレパックスの死をもって永遠にその新しい姿を見ることはできなくなってしまいました。先の文章でクレパックスは、ヴァレンティーナに対し「今までの自分から離れ、あるいは新しい自分へと変わることで、最後には安らかに、不安と“迷い”から解放されてもらいたいと思う」と願っています。彼がヴァレンティーナに安らぎを願ったように、彼自身もまた、ヴァレンティーナや他のヒロインたちに囲まれて安らかに眠ってもらいたい。心からご冥福をお祈りします。
(なお、今回の文章を書くに当たっては、フランスのル・モンド紙およびリベラシオン紙のネット版に掲載された追悼記事を参照しました)

2003年12月29日(月) 2003年フィクション・インク5大ニュース
8月12日のクレパックス追悼以来、更新してこなかったため、ランダムぶりもいい加減にしろよ?ということになりまして、2003年フィクション・インク5大ニュースを書くことになりました。
1)マーク・ボスウィック"Social Documentaries Amid This Pist" 大好評であっという間に売れたこの本ですが、その制作は実に大変でした。マークからこの本のプロジェクトの打診があったのは2002年の春か夏か秋か忘れましたが、その頃。手書きのファックスが送られて来たのですが、彼はかなり個性的な字を書くため判読しづらく、文脈や他の単語から類推に類推を重ねてようやく内容を理解したところ、パリ/NY/東京の3都市で同一素材を異なる形で出版したい、テキストも日本語に訳してもらいたいとのことでした。この翻訳はどういうわけか僕が担当することになったのですが、あまりに難解でちょと僕の能力を超えていました。アヴァンギャルドな文法、辞書にない単語(タイトルの Pist からしてわからない)。もうなんというかニーチェのアフォリズムをジョイスの文体で書いたような文章なのです。つまりさっぱりわからない。結局、ほとんどを僕よりはるかにプロフェッショナルな方にお願いして訳してもらいました。このテキストでは、マークのアーティストとしての知性と感性が、随所にクールなフレーズとして現れているので、読み手はそうしたフレーズにインスピレーションを受け、思考や創造のヒントにしていくことができるのではないかと思います。このHPで読むことができるので是非お読みください。
2)グィド・クレパックス"CREPAX 60|70" 大ヒットした『ヴァレンティーナ』から8年、ようやく出たクレパックス本第2弾はベリンダを主人公としたコミックと、クレパックスの愛した美しきヒロインたちのドローイング集でした。30年以上も前に描かれたものですが、そのモダンなセンスは色褪せることがありません。「ほんとうに新しいっていうのは、古くならないってことじゃないかしら」とは小津の『宗方姉妹』での田中絹代の言葉ですが、まさにクレパックスはそういう存在なのではないかと感じました。残念ながら『ヴァレンティーナ』はもう手に入れることはできませんが、『CREPAX 60|70』はできるので完売にならないうちに是非。
3)グィド・クレパックス死去 そのクレパックスが、7月30日に亡くなりました。フィクション・インクから出版した上記の作品集が、彼の遺作となってしまったのです。このことについては追悼文に書いたので、ぜひ読んでみてください。フランスではル・モンド他、各紙に追悼記事が書かれていたのですが、他にもクレパックス関連の記事はないのかしらんとネットを検索したところ、インタビューや評論もいくつか見つかり、さらっと読んだところいろいろと興味深いことも書かれていて、いつかテキストの充実したクレパックス本を出版できればいいのになと思ったりしています。
4)so far from... 『CREPAX 60|70』発売にあたりスタートさせたブランド"so far from..."。ヴァレンティーナやベリンダなどのドローインをプリントしたTシャツをつくっています。最新作のレティシアのドローイングをプリントした#9も発売されました。どれもかなりかっこいいのですが、数はそんなに作っていないので見つけたら即買いましょう。このTシャツの件については個人的にかなりの不満がありまして、それは何かというと、サイズが小さいのばかりということ。僕自身はかろうじてベリンダのMサイズを一枚着られるだけなのです。#10以降は必ず大きなサイズも作るよう大類に進言しなければなりません。
5)radicalSILENCE フィクション・インクのレーベル、radicalSILENCEがスタートしました。フランスを中心としたエレクトロ・ミュージックをディストリビュートあるいはリリースしていきます。すでにディストリビュートしたZimpalaの『The Breeze is Black』はかなりの好評をいただいていますが、リリース第1弾『radicalSILENCE | 01』もそろそろレコード店に並ぶ予定です。また、ディオール・オムのショーで使用されたBOSCOの超入手困難CD『CHANGE YOURSELF』もBOSCO本人の協力を得て1000部限定で制作しました。暗闇にいくつもの音の閃光が射しては消えていくミニマルなビート・ミュージックです。即完売間違いなしの傑作ですので、見つけた方は即買いましょう。
というわけでこうして振り返ってみると近年では珍しくかなり充実した年だったのではないでしょうか。so far from...やradicalSILENCEはスタートしたばかりですし、来年もさらに充実した活動をしていければと思います。よろしくお願いします。


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